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​プロフィール

​稲田 貴久(いなだ・たかひさ)

​うつヌケ講演家。カウンセラー。1971年生まれ、愛知県出身。度重なるストレスから28歳で重度のうつ病を発症。2度の自殺未遂、3度の閉鎖病棟入院、10年に及ぶ壮絶な闘病生活を送る。考え方や生き方を180度かえて、うつ病を克服。2010年より学校、病院、行政、企業、被災地などで経験を歌で伝える講演活動をはじめ10年で1万人超のこころに寄り添う。「経験者の言葉に背中を押された」「生きる勇気をもらった」という感動の声が後を絶たない。ドラマ『うつヌケ』第一話モデルのほかテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、Yahoo!ニュースなどメディアに多数出演。現在はメンタルソングライターとして、精神障がい者支援団体への楽曲提供やイベントプロデュースをしながら、自らもうつ再発予防を実践している。

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​幼少期

​自分に嘘をつき続ける幼少期

​待望の長男として生まれたボクは、親から大きな期待をかけられました。「一流になれ」「もっと強くなれ」「お前は自慢の息子」と言われ続け、いつしか良い子を演じるようになりました。公園で近所の友達にいじめられても、「自分が悪いから」と引っ込み思案になったり、体調が悪くても「休むことは悪いこと」と無理して幼稚園へ行き、保健室で過ごすこともよくありました。しんどかったんです。こんな幼少期が。自分を否定することが、どんなにしんどいことか。自分を押し殺して生きることが、どんなにつらいことか。いつも人目を気にすることがどんなに息苦しいことか。ボクの幼少期は「ホントの自分に嘘をつき続ける」という幼少期でした。

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​学生時代

​悩みだけが膨らむ学生時代

小学生になってすぐに父から「歯医者になりなさい」と言われました。理由は「自分のように苦労をかけさせたくないから」でした。しかし、この一言でボクは大きな苦労を背負うことになります。父の夢をかなえるために無理をして頑張りすぎるようになったからです。「おまわりさんになる」「野球選手になる」「看護師になる」という自由な夢を語る友達を横目に、歯をくしばりながら必死に勉強した。高学年になると突然「歯医者はやめてパイロットになりなさい」と言い出しました。理由は「世界中を旅できるから」でした。ボクは疲れました。心の中で「オレは父さんのロボットじゃない!」と叫びますが、父には聞こえません。悩みを誰にも相談できなかったからです。反抗期もなく、「悩みだけがどんどん膨らむ」という学生時代でした。​

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​ひきこもり

​受験せずに向かった先は・・・

​パイロットにはなれませんでした。いや正確には、なりたくなかった。現実から逃げることで精一杯でした。航空学校を受験する日、父に駅まで送ってもらったボクは電車に乗って大阪城へ向かいました。そうです、受験しなかったんです。なぜ、大阪城へ行ったのかは覚えていませんが、きっとどこでもよかったんだと思います。受験会場以外なら。合格通知が届かないのを不思議がる父にボクは「不合格者には通知がこない」と、ここでも嘘をつきます。それから父はボクに冷たくなりました。もう何もかもがイヤになったボクは、ひきこもりました。

都会のビジネスマン

​就職、うつ

​社長の期待に応えようと頑張るも・・・

しばらくひきこもったボクは、仕事をさがし始めました。父を納得させるために選んだ就職先は旅行会社でした。世界中を旅することができるからです。幼い頃から良い子を演じることが得意だったボクは、営業成績が優秀でした。入社3年目で営業成績がトップになり、社長賞を受賞しました。「将来はこの会社を君に譲る」と社長に期待をかけられました。しかし9.11により、海外へ行くお客様の激減。格安航空券を取り扱う旅行会社の増加。インターネットの普及により、ボクのもとからお客様が離れていきました。喪失感にさいなまれる中、パートナーとの関係も悪化。それでも社長の期待に応えようと頑張るボクの心は悲鳴をあげていました。夜眠れない、食事が喉を通らない、人と話せない、感情がコントロールできない。悩みを誰にも相談できないボクは、ついにうつ病を発症しました。

病院用ベッド

​自殺、入院

​薬を飲まなかった理由は2つ

精神科でもらった睡眠剤を飲まずに、ためていました。理由は2つ。1つは薬を飲むことに抵抗があったから。もう1つは薬の飲んで死にたかったから。自傷行為がエスカレートしたボクは、ついに自殺未遂を決行しました。これ以上、このままでいるのは危険と判断した家族はボクを入院させることにします。家族の期待に応えるために入院したボクは病室でささやかな夢を描きました。「いつか、この経験を同じ苦しみで悩む人に伝えよう」という生まれて初めてもてた自分の夢です。しかし、どうやって伝えたらいいのかわからなかったボクは、まずはうつ病を治すことに専念することにしました。

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180度転回

​うつ病に“治される”ことで、うつ病を克服

うつ病を治そうとすればするほど、うつ病は治りませんでした。それどころか、うつ病が悪化してしまいました。ある日、主治医の先生に「稲田さん、そんなに頑張らなくても大丈夫ですよ」と言われてハッとしました。「頑張らなくてもいい?」「そうだ、今までボクは親の期待や社長の期待に応えようと必死に頑張ってきたんだ。うつ病をきっかけに、この考え方と生き方を変えてみよう」それからボクはうつ病とうまく付き合うようにしました。するとどうでしょう。うつ病がみるみる回復したんです。「弱くてもいい」「ダメでもいい」「ありのままの自分で大丈夫」と今までの自分を180度かえるようにしました。この発想に至るまで10年かかりましたが、自分を受け入れることが、やっとできたと感じた時が訪れました。つまり、うつ病に治されることで、ボクはうつ病を克服できたのです。


 

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​偏見

人生最大のショックを人生最強の原動力へ

社会復帰を目指していたボクはヘルパーの資格を取得しました。誰かに必要とされる存在になりたかったからです。障害をもつ子ども達のヘルパーとして働きはじめたボクは、人生最大のショックをうけることになります。「偏見」です。精神科入院歴を理由にクビになったのです。悔しかった。悲しかった。しかし、ボクはここでも転回させました。「この苦しみを原動力にしてやる!」と考えたボクは精神障害者への偏見や差別をなくすための活動をはじめました。

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​伝える

​病床で描いた夢がついに!

「うつで悩む人を0にしたい!」をモットーにはじめた活動は講演活動でした。病床で描いた夢を形にするには、経験を伝えるという講演がピッタリだと考えました。しかし、いきなり講演といっても誰もボクの話を聞いてくれません。そこでボクは、誰にも話せなかった自分の過去を友達に聞いてもらうことからはじめました。人に伝えることで重かった心が軽くなりました。共感してくれる人ばかりではありませんでしたが、とにかく伝えました。近所のおばさん、民生委員さん、当事者会の集まり、と活動を広げていくうちに、逆に「稲田さんの話をきいてみたい」という依頼をいただくことになりました。学校での「命の大切さを知る講演会」、自治体での「自殺予防講演会」、企業での「メンタルヘルス講演会」のほか、東日本大震災被災地での心の支援活動など、壮絶な経験を人に伝える場を広めてまいまりました。これも全ては、あの苦しみを180度転回できたおかげだと痛感しております。ぜひ、あなたにも「ボクの伝えたい」を聞いていただきたく思います。

 

うつで悩む人を0にするためにも。

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t@komorebi-i.com

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